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歴史と浪漫 人吉、そして繊月酒造の歴史と浪漫
「繊月」のふるさと、人吉。“霧の都”とも呼ばれるこの場所は〜イラスト

もの言わぬ山里の古城。球磨川の水とともに流れた700年の時間を想う。
大手倉  「落ちゆく先は九州相良」。これは、歌舞伎の演目としてお馴染みの「伊賀越道中双六 (いがごえどうちゅうすごろく)」に出てくる名文句です。
 柳生新陰流を極めた剣客・荒木又右衛門が、義弟の渡辺数馬を助けて、仇敵・河井又五郎を討ち取る。この「伊賀越の仇討ち」は“日本三大仇討ち”のひとつにも数えられるほど有名な逸話。そしてこの「九州相良」こそ、繊月酒造のふるさと、熊本県人吉なのです。
 鹿児島と宮崎の県境に位置する山里。まさに“落ちゆく先”にふさわしいほどの山深い盆地です。
鎌倉時代の初期、幕府の地頭として、遠州(現在の静岡県)から相良長頼がここに入りました。長頼は正治元年(1199)から人吉城の修築を開始。このとき、三日月の紋様が入った奇石が見つかったことから、人吉城は三日月城または繊月城とも呼ばれるようになりました。そののち相良氏は、幾多の戦乱を経ながら明治までのおよそ700年間、一貫してこの地を治めてきたのです。
 表向きは2万2千石の小藩だった相良藩でしたが、実際には10万石を優に超える豊かな余剰米を持っていました。
そして、この良質な米と球磨川の清流が、この地域特有の米焼酎〈球磨焼酎〉を創りあげたのです。


このまろやかな液体が語るもの。それは、“伝統”と“先取の精神”との出会い。
 すでにお分かりのように、当社の代表銘柄として多くの焼酎ファンに愛され続けている「繊月」は、この繊月城にちなんで名づけられたものです。
 その酒は、4代目杜氏として焼酎づくりの現場を率いていた重富武春が、技術と経験、情熱のすべてを傾けて創りあげた“純米焼酎の完成品”でした。昭和57年(1982)、3代目社長として経営の指揮を取ることになった堤正博は、この焼酎の完成度を確かめ、迷うことなくこの名を与えたのです。
 それは、明治36年(1903)から続く伝統を踏まえたうえで、さらに新たな未来をめざそうとする堤正博の挑戦でもありました。その年の4月に発売された「繊月」は、そのまろやかな口当たりと洗練された風味で、球磨焼酎の新しい世界を開きました。以来20有余年、いまも着実にファンを増やし続けています。
 地元人吉のシンボルともいえる城の名を冠した酒。この透明な液体に込められた“伝統”と“先取の精神”こそ、「繊月」の旨さの神髄といえるでしょう。
純米象徴・繊月
■25度・720ml
 897円(化粧箱入:998円)
4代目杜氏・重富武春が心血を注いで創りあげた“純米焼酎の完成品”。発売以来20有余年、当社のメインブランドとして、いまも着実にファンを増やし続けています。
ほのかな香りと、まろやかな口当たりが魅力。ラベルに描かれた5つの星は、繊月酒造を支えてきた歴代5人の杜氏を表しています。
純米象徴・繊月


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