(1) 純子といっしょに、「繊月」蔵めぐり。

父堤正博社長の次女としてこの蔵に生まれました。蔵元の家に生を受けたわたしですが、これまで家業の焼酎造りとはあまり縁のない日々を過ごしてきました。大学を卒業してからは福岡県で暮らし、OLとして社会生活を送っていました。実家の仕事はあまりに身近すぎて、逆に意識することがなかったのです。

でも、今年(平成15年)の4月、わたしは蔵に戻る決心をしました。

どうして心に決めたかというと、昨年福岡市で開催された試飲イベントをお手伝いしたときに、お客様が「美味しい」といって飲んで下さった姿を見てとても誇らしく思ったこと、そして飲んでいただいた方に喜んでいただける焼酎づくりというものに、とても興味が湧いたからです。

今まで、焼酎造りとはまったく畑違いの仕事をしていました。ですから、蔵に戻ってからの日々は知らないことばかり、驚きの連続です。でも、わたし自身、実家の仕事がどんなに奥深い世界だったのかを実感することができました。

もしよろしかったら、わたしが生まれ育った「繊月酒造」の蔵の中を、一緒に巡ってその世界の一端にふれてみませんか。 



●蔦のからまる正門。創業100年の重み。

ここは蔵の表玄関。社名を記したレリーフがはめ込まれた正門には、いくえにも蔦がからまって、歴史を感じさせる風情があります。「繊月酒造」はちょうど平成15年(2003)に創業100周年を迎えました。100年前というと、わたし自身は考えただけで気が遠くなってしまいそうです。

焼酎蔵としての始まりは、父から2代前の「初代・堤 治助」が堤治助商店(現繊月酒造)を興した時です。初代治助はもともと福岡県は田主丸出身。人吉で味噌・醤油を生業としていた堤家へ養子としてやってきたのです。初代治助の実家は醸造業ではありませんでしたが、福岡県筑後地方と人吉はことのほか人的交流が深かったようです。

さて、その初代治助ですが、味噌や醤油の醸造のノウハウが役に立ったのか、その後分家して焼酎造りを始めたのですね。それから100年。二代目治助が家督を継ぎ、今は父である三代目の正博がこの蔵を守り、娘のわたしはそのお手伝いをしています。






●かつての焼酎造りの姿を伝える道具たち。

正門から蔵の内部へ。まずご覧いただくのは、かつて焼酎造りに使われていた道具たちです。大きな桶や「もろぶた」と呼ばれる麹造りのための容器、温度調節に使われた暖気樽などが展示されています。5代目の杜氏を務めていただいた越冨 茂前杜氏のお話では、これらは30年ほど前まで使われていたとのこと。わたしは、実家の100年の歴史を、今は使われることは無くなったこれらの道具に見る思いがします。



●焼酎造りの基本は、麹づくり。

焼酎造りの基本は麹だと、越冨五代目杜氏から教わりました。原料米を蒸し、これに種麹を混ぜて麹を造ります。麹菌が原料米の芯までまんべんなく繁殖するよう、原料米の蒸し加減は最も重要だといいます。実家では、現在回転ドラム式を二基設置して麹を造っています。
麹と酵母、それは「繊月酒造」の色んな製品たちの個性を決める組み合わせであり、とても重要なところです。




●一次もろみから二次もろみへ。

出来上がった麹に仕込み水と酵母を加えて、一次もろみを造り、それを一次もろみのタンクから二次もろみのへ移します。二次の方がタンクが大きいのです。それは一次もろみに、蒸した掛け米と仕込み水をさらに加えて発酵させる量を増やすためだったのですね。この仕込み水がまた重要なのです。水の質が、焼酎の質をも大きく左右します。ちなみに当社の仕込み水は「軟水」です。

右写真は、一次もろみのタンクを撹拌する様子です。(越冨五代目杜氏)姿勢が違いますね。わたしもチャレンジしてみました。でも、力の入れ方とコツがむずかしくて、なかなか「蓋(原料米がもろみ表面に浮かんで固まった部分)」を砕くことが出来ません。だからわたしが櫂棒を持った写真はなし(*^^*)。

さて、家業にたずさわることになって知ったのですが、“球磨焼酎”は産地指定を受け世界でも認められた存在なのです。でも、人吉や球磨地域で生産される焼酎がすべて球磨焼酎とは呼ばれません。それは、仕込み水に秘密があります。仕込み水が球磨川の伏流水でなければ、“球磨焼酎”とされない定義になっているんですね。「繊月酒造」では、『繊月』『峰の露』『舞せんげつ』『たる繊月』などレギュラーブランドについてはすべて球磨川の伏流水を使用しています。



●酒質をコントロールする、父が設計した「堤式蒸留器」。

発酵の具合を見て、二次もろみを蒸留器へと移します。父がこの常圧減圧両用の蒸留器を設計したと聞いてびっくり。「これは社長が設計されたんだけど、狙った酒質で色んな味わいの蒸留ができる、とてもよく出来たものなんだ」とのこと。

この蔵めぐりのために写真を撮って良いですか?と聞くと、「純子ちゃん、良いよ。うちは開けっぴろげだから。同じようにしても同じ酒質のものは造れないからね。それだけの自信を持って造ってるんだよ」。蒸留器から冷却器へとアルコール分を含んだ蒸気が流れる部分、つまり「馬」や「ワタリ」といわれる所の、手の入れ方が特に肝心なんだそうです。




●お客様に実際に味わっていただく試飲場。

蔵めぐりの最後は、二階にある試飲場で実際に味わっていただきます。ここでは先に挙げた『峰の露』『繊月』『舞せんげつ』『たる繊月』などのレギュラーブランドに加えて、蔵のみで販売している『甕せんげつ』も試飲やご購入いただけます。

さらに当社が誇る四十年、三十年間甕貯蔵した『繊月大古酒』や『特醸古酒』、九州内の各自治体と共に地域産の原料にこだわって造った『葦分(あしきた)』『川辺』といった“ふるさとシリーズ”などの特化した商品も販売しています。

観光バスでいらっしゃるお客様も多く、週末はそういったご来場者の皆さんで試飲場は賑わいを見せます。もちろん個人の方でも蔵めぐりはご案内いたしますので、事務所までお気軽にお申し込みください。年中無休で無料です。






さて、実際ご見学いただけるのはここまでですがーーーーーー
ネット上の蔵めぐりでは、ふだん一般のお客様が入れないところまで、ご案内しましょう。




●甕の中で四十年。大古酒が眠る大手蔵。

焼酎ファンの方がよくおっしゃられる言葉があります。「繊月さんの古酒は球磨焼酎の宝だ」と。

わたし自身がこう書くのは手前味噌というかちょっと照れるような感じがします。でも、毎年5月に行われる『繊月祭り』をお手伝いしている時に、座敷で大古酒の振る舞い酒を試飲された地元の高齢者の方が、「これが焼酎の味たい」としみじみ語られます。その時、古酒という形で球磨焼酎というひとつの文化を遺しているのだ、と実感するのです。

これらの甕に眠る古酒たち。いまから40年以上前にこの甕貯蔵を始めたのは、三代目杜氏であった故淋 豊嘉(そそぎとよか)杜氏でした。わたし自身は淋杜氏のことをあまり覚えていません。淋杜氏は昭和55年(1980)にお亡くなりになったからです。しかし、その前年の昭和53年(1978)に「現代の名工」として叙勲されました。醸造の世界では初の卓越技能者としての表彰となったのです。

淋杜氏こそが毎年造った原酒の中でもっとも納得できるものだけを甕貯蔵することを発案し、それが現在もちゃんと受け継がれています。その中で最も古い「四十年古酒」が眠っている甕を見守る5代目の越冨五代目杜氏も「ここまで長く長期貯蔵しているところは他に無いと思いますよ。これは淋三代目杜氏から受け継いできた私たちの誇りです」とおっしゃいます。




●かつての仕込み蔵に貯蔵された樽たち。

川縁にある大手蔵から道を挟んだ向かい。かつての仕込み蔵だった旧社屋にはたくさんの樫樽が並び、『たる繊月』などの樽貯蔵製品の原酒が眠っています。古いもので、もう30年以上にもなるんですね。

当社の樽貯蔵製品の特徴といえば、あまり強い樽臭はせず、練れた上品な味わいをしっかりと守っているところでしょうか。樽貯蔵物があまりお好みでない方でも、気に入っていただけるものと思います。

ところで旧社屋に掲げられているこの看板ですが、調べてみると、昭和25年頃のものだそうです。社名はかつて使われていた「堤酒造本店」。そういう時代もあったのですね。この看板が掲げられた事務所で、かつては蔵人さんみんなが集まって宴会をやっていたものでした。わたしもまだ幼かったのですけど、その時の光景をいまでも鮮明に覚えています。





というわけで、蔵めぐりはいかがでしたか?
もしよろしかったら、実際に蔵へとお越しください。お待ちしております。



 


Copyright(C) Sengetsu shuzo. All rights reserved.